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コーヒー豆屋の話

コーヒーは僕にとって仕事ですが、生活の一部でもあります。毎日はいろいろなことが起きるし、うまくいく日もあれば、調子の悪い日もあります。コーヒー豆を焙煎する時、毎日の様々な環境の中に、コーヒーを置かせてもらうんだと言う事を考えています。

生活の中に置いてもらうという事は、コーヒーのことばかり考えていられない、ということでもあると思います。だから、タフじゃないといけません。

本当はゆっくりコーヒー淹れたかったのに誰かにお湯使われちゃったりする時もあるかもしれないし、真面目に淹れてたら家族に見つかって鼻で笑われる時もあるかもしれないです。そもそもコーヒーに必要そうな道具が、全て揃っている場所とは限りません。そういった日常の中に置いてもらえるのが、コーヒーのいいところだと思いますので、美味しくないと腹が立つことがあるかもしれないのですが、どんな環境でも、なるべくそうならないように、考えて考えて焙煎しました。
今日は上手く淹れられないなと思っても大丈夫です。そう言うコーヒーを作りたいと思っています。 

簡単で手をかけないようにする事だけがいいとは思いませんが、上手くできなくて嫌になるのも寂しいです。失敗かなと思っても、笑えるものが生活の中に置いておけるものだと思っています。これはコーヒーの話をしているのか、何か別の話をしているのか、よくわからなくなってきてしまいましたが、無理に簡単にすることも難しくすることもありませんね。誰かにそう言ってもらいたくなる時があると思います。

上手に淹れられなくても大丈夫なコーヒーを作りたいと、本当にそう思っているのですが、そんなコーヒーどうやって作るんだと、本当にできているのかどうかもわかりません。
でも最近、なんとなくそれがどう言うものか、少しわかってきた気もしています。
ひとつは、僕はコーヒー淹れるのが下手くそで、ぜんぜん要領を得ないと言うか、向いてないんじゃないかと思うくらいなので、だから、機械を使った時の方が美味しいなと思うことがけっこうあります。でもそのことは、どうか内緒でお願いしたいです。

そんなものが作っているコーヒーですから、特別な技術がなくても、整った環境がなくても、美味しくなくて傷つかないためには、どう淹れてもそれなりに大丈夫なコーヒーを作るしかありません。
真面目にやって向き合ってばかりいると、だんだんいろんなことに、周りにも自分にも辛くあたってしまいますね。コーヒーは裏方のものだと思いますので、そうなった時に、力になれるものだと思って作っています。そう言うコーヒーを作りたいと思っています。